2019年9月21日土曜日

みちのく潮風トレイル~民泊編~

番外編 小説風のお話です。



その夜は、良く眠れなかった
何度も目が覚めてを繰り返し、明け方目覚めた時には涙を流し泣いていた。
子供の頃よく見た、クジラに追いかけられる夢を久々に見たからだ。
いつもの通学路を歩いていると、いきなり道路が波立ちクジラが現れる。急いで知らない家の物置に隠れると、クジラは尾を振り大きな口を開けながら私の住んでいる家の方へと向かっていく。私は怖くて、クジラに見つからないよう息をひそめる。物音がなくなり、私はそっと道に出る。クジラの通った跡はまるで知らない景色になってる。街が、家が、道端の草さえもない。私は走る。走るけれど足が空回りしてうまく進めない。ようやく家のある所に来ると、何もない。家がない。「お母さん、どこ?」そう言ったところで必ず眼が醒める。そんな夢だ。
私は幼い頃よくこの夢を見ていた。久しく見ていなかったこの夢をなぜ、今になって見たのだろう。

私は今、宮城県に来ている。福島県相馬市から青森県八戸市まで続く全長1000キロの道を歩くためにだ。
昨夜は岩沼市まで歩き、民泊の素敵なおうちに辿り着いた。このお家は一緒に歩いている友人が探してくれて、オーナーが以前住んでいたところを民泊として提供してくれている所だ。オーナーは物静かな男性で、私たちが到着すると清潔な白いタオルとともに、これまた絶妙の湯加減のお風呂を用意してくれた。そして私たち2人を、以前子供部屋だったであろう部屋にそれぞれに案内すると
「私は階下にいますから、何かあったら声をかけてください」
と、静かに言った。私は北側の部屋を選んだ。
汗を流し、着替えて何処かへ夕食をと思いオーナーに話しかける
「出かけて来ます。夕食をとって来ますね」
「この辺は何も、ないですよ、街まで車で行きましょうか?」
「来る時に焼き鳥屋と、ラーメン屋があるのを見かけました。コンビニもあったし、大丈夫です」
「焼き鳥屋・・・?ああ。それと、これを受け取っていただけますか?」
オーナーの差し出した手には小さなピンバッチ。みちのく潮風トレイルと書かれたものだ。
「これは?トレイルが全線開通した時の記念バッチですよね?」
と興奮する私。
「はい、その時のイベントに参加してもらったものです。1つしかないのですが、よろしければ・・・」
「そんな大切なものを、いただいて良いのですか?」
「物をね、もう持たないことにしたんです。断捨離ってやつですかね」
そっと笑いながらさらにもう一度差し出したその手に乗る小さなピンバッチを、私はありがたく頂戴した。
少し歩いた所にある焼き鳥屋に入ると、小さな年配の女性が驚いたように私達を見て、しばらくしてから
「いらっしゃいませ」と小さな声で言った。
「やっていますか?」
「焼き鳥なら、あります」
「じゃあ、それとビールを」
塩を振って焼いてくれた焼き鳥と、ニラがたっぷり入った卵焼きは美味しかったけれど、
店主の寂しそうな顔と、おそらく娘さんが練習を始めたのか、つっかえつっかえ聞こえるピアノの音がいたたまれず、早々に店を出た。
「ラーメン屋があったよね」
歩いて来た道を少し進むと、先ほど見た時には明かりのついていた店は暗い。思い切って扉を開けると、厨房にいた女性がまたも驚いたように私達をじっと見ている。その奥にはマスターらしき男性が、こちらを見もせずにせっせと鍋を磨いている。
「もう、終わりですか?」
「はい、やっていません」
この女性も、声が小さく、そして寂しそうな顔をする。
あきらめて、コンビニでお酒を少しと明日の朝ごはんを買い民泊へ戻った。
私たちがいる2部屋の他にもうひとつ大きめの部屋がある。今晩、もう1組がここに宿泊するそうだ。
明日歩くルートの打ち合わせをすると、お酒も回り心地よい疲れが眠りを誘う。
心地よい眠りが訪れ、清潔にシワひとつないベットに倒れると、ふと机の上に置かれた冊子に目がいった「きぼうのおか~千年先のきみへ~」
家族を震災で失くし、それでも希望を持って生きようとする男の子のお話。
私は手に取り読みはじめたが、途中で本を閉じた。涙が溢れて、苦しくなってしまったからだ。そして、ご自由にお持ちくださいとオーナーの字が添えられていたので冊子は自分のカバンにそっとしまった。

目覚めた時に泣いていたのも、クジラの夢を見たのも。そういう訳だったのだ。
もう1組の宿泊者は、深夜に到着したらしい。私はオーナーが静かに部屋へ案内する声を聞いたが、友人は気がつかなかったそうだ。

翌日の朝は、オーナーが車で出発地点まで送ってくれた。
「この辺は、津波が来たのですか?」
友人が恐る恐る聞く。
「はい、あの家は大丈夫でしたが、今走っている道のところまでは水が来ました。
家が無事でも、出かけていた家族をなくされた方が多く、未だに見つかっていないんです。」
「・・・」
「昨日、焼き鳥屋に行かれたでしょう?あの家の娘さんや、ラーメン屋のご主人も。
だから、店は開けていないんですよ」
私と友人は顔を見合わせた。確かに、娘さんの弾くピアノの音は聞いたし、鍋を磨くご主人も見た、それに何より焼き鳥は美味しかった。
「気をつけて、また遊びに来てください」
そう言って別れた。

そういえば、この旅では不思議なことがおきていた。
道に迷うとどこから現れたのか、知らないおじさんが話しかけて来たり、道もないところに子供が座っていたりする。
タケちゃんという名前の芝犬を連れたおじさんと話をし、あまりに犬が可愛いので写真を撮ったが、家に帰るとその写真は見つからない。

ああ。私は不思議と、納得した。
「物をね、もう持たないことにしたんです。」
ふと、あの民泊のオーナーの声がよぎる。

千年先を見据えて、この土地を守りたいと願う人々が作った丘の上に立ちながら。
私は、ただこの場所を美しいと思った。

このお話は、フィクションです
お話に出て来た冊子はこちらで読めます





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